明円寺

  安佐南区川内に創建されている「福嶋山・明圓寺」です。
福嶋山・明圓寺(福島山・明円寺)は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
1604(慶長9)年福島大和守真道二男右京進が行空と改め開基し、福島氏ゆかりから山号としました。
※佐東町史には福島山とありますが、お寺本堂梁上の山号額には福嶋山とありました。
1645(正保2)年空真が書き残した「広島由来附福島姓世良ニ替ル事」という巻物がお寺にあり、広島由来は、巷間すでに伝えられている五箇村を、毛利氏の祖・大江広元の「広」と福島氏の「島」を取って「広島」と名付けた事、築城の事が書かれており、また、福島姓を世良姓に改めたのは、毛利氏に替って広島城主になった福島正則に遠慮したためで、母方の世良を氏としたいきさつが書かれているそうです。
福島大和守: 「川の内警固衆」と呼ばれた水軍の将で、歴代当主がこの名を名乗りました。
もとは武田氏の家臣でしたが、後に毛利氏につき、1555年厳島の合戦では水軍を率いて参加しました。この附近を本拠地として勢力をもっていたと考えられ、「芸藩通志」に中筋の才ノ木神社の北側一帯に福島屋敷跡と記されているそうです。
以前から資料をみて、川内小学校に建立されている川内村戦没者戦災死者供養塔を訪ねようと思っていましたので、川内小学校の近くに他に訪ねてみる処があるのではと「あさみなみ散歩マップ:東野・川内ルート」をみたのです。
マップに紹介があったここ明円寺を訪ねました。佐東町史に由来などの紹介がありましたの参照しました。
 11.01.09裕・編集

10.06.11撮影
広島市安佐南区川内1-5

10.06.11撮影

10.06.11撮影

10.06.11撮影

10.06.11撮影

10.06.11撮影
森正文左衛門翁貽コ顯彰碑 明圓寺墓苑由来誌碑



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