平山市尹紀功之碑

  尾道市土堂町の住吉神社に建立されている「平山市尹紀功之碑」です。
平山市尹紀功之碑
従一位勲一等侯爵淺野長勲題額   明治廿九(1896)年五月
    東宮文學従五位三島毅撰文   正四位勲三等巌谷修書
この碑は、平山角左衛門が尾道港の改修・埋立工事を行ったことの紀功之碑で、1896(明治29)年は、1737(元文2)年から158年を祝った、その時角左衛門の九世孫にあたる秋田県知事であった平山靖彦も碑の建立に参列したようです。
(ひらやまなおずみ)
平山尚住:
(?−1745)
安芸広島藩士。名、尚住。通称、角左衛門。
目付役、先手物頭役などをつとめる。藩主浅野吉長(1681-1752)にみとめられ元文5(1740)年尾道町奉行となる。西廻り航路の開通で来船がおおくなった尾道港の改修・埋立工事をすすめ,翌(1741)年完成。約30aの埋立地を町方商人にはらいさげた。一説に明和5(1768)年12月死去とも。
現代においては、尾道市の名誉市民になっています。
(ひらやまやすひこ)
平山 靖彦:
(1844-1912)
官僚、政治家。元広島藩藩士。明治維新後、大蔵省、内務省、広島県・奈良県書記官等を経て、帝国奈良博物館館長。
1892(明治25)年第2回衆議院議員総選挙広島1区に中央交渉部より出馬、当選。同年から秋田県(在任:1892‐1896)、大分県、佐賀県の各県知事を歴任。1907(明治40)年に貴族院議員に勅選。
(きこうひ)
紀功碑:
功績を記した碑。
(尾道)住吉神社を裏側からみた時社殿の海側に石碑が建っているなと思ったのです。表側に周り、参拝した後、力石を撮影し、それからこの「平山市尹紀功之碑」石碑をみました、平山市尹とは誰だろうと思ったのです。碑文をみると、名が尚住。称が角左衛門と刻まれていましたので、帰宅後尾道市役所のWEB SITEを調べると名誉市民のはじめに平山角左衛門の名がありました。
11.05.02裕・記編集

11.03.04撮影
広島県尾道市土堂町2-10-12 住吉神社

11.03.04撮影



「広島ゆかりの人たちの石碑など」編



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