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尾道市東土堂町の千光寺公園“文学のこみち”に建立されている「徳富蘇峯詩碑」です。 |
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海色 山光信に美なるかな |
更に懐う頼子の出群の才を |
淋離たる大筆精忠の気 |
維新の偉業を振起して来たる |
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振
起
維
新
偉
業
来
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淋
漓
大
筆
精
忠
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更
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頼
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群
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熊本の人、徳富蘆花(1868-1927)の兄、上京して民友社をつくり国民新聞を創刊、その大著「近世日本国民史」は、頼山陽(1780-1832)後の在野の史家の第一人者といわれた。 |
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徳富蘇峰(とくとみそほう:1863-1957) |
評論家。肥後国上益城郡益城町(現熊本市秋津町)生れ。本名、猪一郎。蘆花の兄。1880(明治13)年同志社中退後、自由民権運動に参加。のち民友社を設立、「国民之友」「国民新聞」を発刊し、平民主義を主張。日清戦争後は政府と結び、国家主義の鼓吹者となった。著「近世日本国民史」など。
1943(昭和18)年に文化勲章受章。敗戦後、A級戦犯容疑を受けたが、老齢と三叉神経痛のため、GHQにより自宅拘禁となり不起訴、公職追放となり熱海市に蟄居。戦犯容疑をかけられたことを理由として、1946(昭和21)年道義的責任を取り文化勲章を返上。 |
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徳富蘇峰詩碑は、ロープウェイ山頂駅根際からはじまる文学碑の一番目の碑です。
1965(昭和40)年5月尾道青年会議所が文学のこみちを整備したことが、文学のこみちの石碑でわかりましたが、この「徳富蘇峰詩碑」の裏側には1958(昭和33)年3月建立とありましたので、文学のこみちとして整備される前から存在していた詩碑だということがわかりました。 |
11.03.30裕・記編集 |