前田曙山句碑

  尾道市東土堂町の千光寺公園“文学のこみち”に建立されている「前田曙山句碑」です。
浜焼はまやきをむしりつゝ はるしむな
名は次郎、明治四(1871)年東京に生れた。兄の太郎(香緑情史)が覗友社の一員であった関係から覗友社系の一人として明治二十四(1891)年には処女作「江戸桜」を「千紫万紅」に発表し、つづいて春陽堂の編集記者として活躍したが、大正の末年に至って、大衆文芸「燃ゆる渦巻」その他を発表し大衆作家として文名を知られるに至った。
前田曙山 (まえだ しょざん:1872-1941)
小説家。東京府日本橋馬喰町出身。本名、次郎。日本英学館卒業。
1891(明治24)年小説「江戸桜」発表、硯友社(けんゆうしゃ)系作家として出発。
1899(明治32)年「にごり水」。1924(大正13)年出版長編時代小説「燃ゆる渦巻」。1925(大正14)年出版「落花の舞」などで大衆作家としての地位をきずく。
「文学のこみち」を下ってきて2番目に目にするのがこの前田曙山句碑です。
この「浜焼きをむしりつゝ春惜しむな里」の句は、大正末期に夫人同伴で春の尾道を訪れた時に詠んだ句だそうです。
11.03.31裕・記編集

11.03.04撮影
広島県尾道市東土堂町 千光寺公園・文学のこみち

11.03.04撮影

11.03.04撮影



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