正岡子規句碑

  尾道市東土堂町の千光寺公園“文学のこみち”に建立されている「正岡子規句碑」です。
のどかさや 小山つづきに塔二つ
松山の人、俳誌「ホトトギス」を発刊、俳句革新の大先達となった。
この句は、日清の役に、日本新聞」の従軍記者として尾道を通過したときの作で、西国寺の三重塔と天寧寺(てんねいじ)の海雲塔を眺めたものであろう。
正岡子規 (まさおかしき:1867-1902)
俳人・歌人。愛媛の生まれ。本名、常規(つねのり)。別号、獺祭書屋(だっさいしょおく)主人・竹の里人。
俳句革新に着手し、俳誌「ホトトギス」により活動。また、「歌よみに与ふる書」で和歌改革を主張。写生文も提唱した。門下に高浜虚子(1874-1959)、伊藤左千夫(1864-1913)などを輩出。句集「寒山落木」、歌集「竹の里歌」、俳論「俳諧大要」など。
◆忌日となる9月19日は、子規忌のほか獺祭忌(だっさいき)、糸瓜忌(へちまき)ともいう。
「文学のこみち」を下ってきて2番目の前田曙山句碑の次3番目がこの正岡子規の句碑です。
広島の千田廟公園の子規の句碑「行かば我筆の花散る處まで」という句で1895(明治28)年3月、日清戦争に従軍記者として派遣される時、広島に立ち寄った事を知りましたが、ここ尾道を通過するときにも、句を残している事をこの句碑で(わたしは)知りました。
なお、説明板には「海重塔」とありますが、天寧寺の三重塔は「海雲塔」といわれているようですので、誤記かなと思って上記には海雲塔としています。
11.04.01裕・記編集

11.03.04撮影
広島県尾道市東土堂町 千光寺公園・文学のこみち

11.03.04撮影

11.03.04撮影



「文学碑など」編



広島ぶらり散歩へ

(尾道)文学のこみち


「尾道市」編






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送