志賀直哉・文学碑

  尾道市東土堂町の千光寺公園“文学のこみち”に建立されている志賀直哉・文学碑」です。
時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。
その頃から昼間は向島の山と山の間に一寸頭を見せている百貫島の燈台が光り出す。それはピカリと光って又消える。造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す。
(暗夜行路より)
宮城県の人。大正元(1912)年の秋から大正2年の中頃まで、千光寺山の中腹に居を構えていた。大正10(1921)年から大作「暗夜行路」を発表、昭和12年に至って完成した。その寓居は現存している。この碑は、小林和作画伯が、特に筆をとられたものである。
志賀直哉 (しがなおや :1883−1971)
小説家。宮城県生まれ。志賀直温(実業家:1853-1929 )の次男。東京帝大中退。
1910(明治43)年武者小路実篤らと「白樺」を創刊。父と対立しながら、自我肯定にもとづく「大津順吉」「范の犯罪」などを発表。1917(大正6)年父と和解し、「城の崎にて」「和解」などを書く。1937(昭和12)年唯一の長編「暗夜行路」を完成。1949(昭和24)年文化勲章受章。芸術院会員。
「文学のこみち」を下ってきて7番目の句碑が江見水蔭句碑で、次の8番目がこの志賀直哉文学碑でした。
文学に疎い理工系で育ったわたしでも志賀直哉は知っており、暗夜行路も何十年も前に読んだ事がありますが、大正時代の時代背景もよくわからず名作といわれるこの小説再度読むことはないだろうと思った事だけは覚えていますが。
11.04.06裕・記編集

11.03.04撮影
広島県尾道市東土堂町 千光寺公園・文学のこみち

11.03.04撮影

11.03.04撮影



「文学碑など」編



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