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尾道市東土堂町の千光寺公園“文学のこみち”に建立されている「林芙美子文学碑」です。 |
海が見えた。海が見える。
五年振りに見る尾道の海はなつかしい、汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように、拡がって来る。
赤い千光寺の塔が見える。山は爽やかな若葉だ、緑色の海向こうにドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしている。私は涙があふれていた。 放浪記より |
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下関の人。大正5(1916)年尾道に移り住んで尾道第二尋常小学校(現土堂小学校)、尾道高等女学校(現尾道東高等学校)を卒業後、上京して、苦をしのいで精進し、昭和4(1929)年に出世作「放浪記」を出し、新進作家として大成した。この碑の筆者小林正雄氏は小学校当時の恩師である。 |
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林芙美子 (はやしふみこ:1903−1951) |
小説家。山口県下関出身(一説には福岡県門司)。尾道高女卒。本名はフミコ。
行商人の子として貧しさのなかで各地を転々とする。
1922(大正11)年上京,種々の職業につきながらアナーキストの詩人(壺井繁治、岡本潤など)や作家(辻潤、平林たい子など)の影響をうける。
1930(昭和5)年刊行の自伝的小説「放浪記」がベストセラーとなった。
作品はほかに「風琴と魚の町」「晩菊」「浮雲」など。
【格言など】花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき(「放浪記」) |
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「文学のこみち」を下ってきて8番目の碑が志賀直哉文学碑で、次の9番目がこの林芙美子文学碑でした。
2009年10.月尾道中央商店街入口付近の高橋秀幸作「林芙美子像」を撮影した時、碑文を読んで、現・土堂小学校、県立高女(現・尾道東高等学校)を卒業した事を知りました。ここ文学のこみちに来る前に、尾道東高校に立ち寄って、林芙美子記念碑を撮影しました。 |
11.04.07裕・記編集 |