山口玄洞文学碑

  尾道市東土堂町の千光寺公園“文学のこみち”に建立されている「山口玄洞文学碑」です。
明徳を明らかにす (明明徳)
尾道市久保町の人。若くして上阪し実業家として大成したが、故郷をおもう念篤く、尾道市の上水道敷設、明徳商業学校創設など尾道につくした功績はまことに大きく、その遺徳は永遠に仰がれる恩人である。
碑に刻まれた三文字は、その座右銘であった。
(めいめい)
明明:
[文][形動ナリ]はっきりしていて疑わしいところのないさま。
[文][形動タリ]1)たいそう明るいさま。2)心が晴れ晴れとしているさま
(とく)
徳:
1)りっぱな行いや品性。 2)すぐれた人格者。 3)恩恵。 4)もうけ。
山口玄洞 (やまぐちげんどう:1863−1937)
実業家。備後国(いまの広島県)尾道出身。
大阪で山口綿花商店を創立。三十四銀行重役などをつとめ、1904(明治37)年貴族院議員。公益事業にもつくす。茶道を趣味とし,表千家の後援者として知られる。
「文学のこみち」を下ってきて11番目の碑が巖谷小波句碑で、次の12番目がこの山口玄洞文学碑でした。
山口玄洞のことは、説明板を読んで、尾道出身の実業家だった事を知りました。
わずか三文字ですが‘徳明明’と(右書きで)刻んであると思うのですがどうみても最初の明と次の明とが同じだろうかとどうにもあやふやな事を思いながら撮影しました。
11.04.10裕・記編集

11.03.04撮影
広島県尾道市東土堂町 千光寺公園・文学のこみち

11.03.04撮影

11.03.04撮影



「文学碑など」編



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