柳原白蓮歌碑

  尾道市東土堂町の千光寺公園“文学のこみち”に建立されている「柳原白蓮歌碑」です。
ちヽ母の声かときこゆ瀬戸海に み寺の鐘のなりひびくとき
東京の人。女流歌人として尾道に歌行脚したとき千光寺、浄土寺に詣でて数首をのこしている。
柳原白蓮 (やなぎはらびゃくれん:1885-1967)
歌人。東京出身。東洋英和女学校卒。本名は宮崎Y子(あきこ)。柳原前光(さきみつ;伯爵:1850-1894)の次女。実母は東京柳橋の芸者良(りょう)。佐佐木信綱(短歌結社竹柏会:1872-1963)にまなぶ。
1900(明治33)年北小路資武と結婚、5年後離婚。1911(明治44)年九州の炭鉱王伊藤伝右衛門と再婚、「筑紫の女王」とよばれた。宮崎竜介(1892-1971)と恋愛関係となり1921(大正10)年家をさる。1915(大正4)年処女歌集「踏絵」を自費出版。1935(昭和10)年から「ことたま」主宰。戦後、平和運動にもかかわった。小説に「荊棘(いばら)の実」。
「文学のこみち」を下ってきて13番目の碑が山口誓子句碑で、その碑と並んで14番目の文学碑としてこの柳原白蓮歌碑の説明板が設置されています。柳原白蓮 のことは、大正デモクラシーという流れがあったからでしょうが、恋に生きた人物ということくらいしか知りませんでしたが、歌人として歌行脚で尾道にも訪れていた事を説明板で知りました。
11.04.12裕・記編集

11.03.04撮影
広島県尾道市東土堂町 千光寺公園・文学のこみち

11.03.04撮影
柳原白蓮歌碑 と 山口誓子句碑



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