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尾道市東土堂町の千光寺公園“文学のこみち”に建立されている「菅茶山詩碑」です。 |
鳴椰漸く遠く夕陽沈む |
水波始めて怡にして山影深し |
山は皆珍松奇石を雑う
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人は龍鱗を撫で虎額を踏む |
此の岩鼓々と踏めば声有り |
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此
岩
鼓
々
踏
有
聲
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人
撫
龍
鱗
踏
虎
額
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山
皆
珍
松
雑
奇
石
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水
波
始
怡
山
影
深
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鳴
椰
漸
遠
夕
陽
沈
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広島県神辺の人。私塾「黄葉夕陽村舎」を開き(後に簾塾ともいう)福山候の知遇を得て、簾塾の名は一世に高く、頼山陽もここに学んだことがあった。この詩は、寛政5(1793)年46才のとき、鼓岩に登った際の長詩の一節である。 |
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菅茶山 (かんちゃざん:1748-1827) |
儒者、詩人。本姓、菅波。名、晋帥(ときのり)。字、礼卿。通称、太中。号は「さざん」ともよむ。
京都で那波魯堂(なわろどう:1727-1789)にまなぶ。郷里の備後神辺にかえり,私塾黄葉夕陽村舎(のちの郷校「廉塾」)をひらいた。頼春水らとまじわり、備後福山藩主の命で「福山志料」を編集した。詩集に「黄葉夕陽村舎詩」など。 |
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文学のこみち22番目が小杉放庵歌碑で、そこから少し上ったところに分れ道があり少し下ったところに、23番目の文学碑としてこの「菅茶山詩碑」があります。
頼山陽が塾頭をした廉塾を訪ねて神辺に行き、茶山のお墓にお参りして来ましたのでこの菅茶山詩碑を見逃さないようにしなくてはと(わたしは)思っていたのです。 |
11.04.01裕・記編集 |