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尾道市東土堂町の千光寺公園“文学のこみち”に建立されている「小杉放庵歌碑」です。 |
岩のまに 古きほとけのすみたまふ 千光寺山かすみたりけり |
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画家、本名国太郎、日光に生まれた。初めは未醒と号し、大正2(1913)年外遊、帰国後、再興日本美術院同人となり二科会に参加し、次いで春陽会を組織した。
絵は和洋を兼ねて一種仙骨を帯び、和歌にも秀でていた。この歌は終戦後、尾道外来の時の作品。 |
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(せんこつ)
仙骨: |
骨盤の中央にある骨。背骨の付け根。尾骨の上部。
☆仙道においては仙骨が出ていることが仙人にはなれる条件だと云われていたそうです。 |
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小杉放庵 (こすぎほうあん:1881-1964) |
画家。栃木県出身。本名は国太郎。初号は未醒(みせい)。
小山正太郎(洋画家:1857-1916)にまなぶ。1907(明治40)年「方寸(ほうすん)」同人。渡欧後、1914(大正3)年日本美術院に洋画部を設立、1922(大正11)年春陽会を結成した。後年油彩から日本画にうつり,独自の水墨画をえがいた。代表作に「水郷」「山幸彦」,著作に「放庵画論」など。 |
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文学のこみち21番目が(尾道を謳った)古歌・碑で、そこから少し曲っがりながら上ったところに、この22番目の文学碑としてこの「小杉放庵歌碑」があります。
2004年に編集した「作品が切手になった画家」で、小杉放庵の名があったな〜と思ったのですがかすかな記憶しかありませんでしたので、頁を開くと、春陽会のところで、1922(大正11)年小杉放庵・梅原竜三郎(1888-1986)・岸田劉生(1891-1929)・中川一政(1893-1991)らが結成。と調べていましたが、小杉放庵個人を調べたわけでもなく和歌にも秀でていた事も(わたしは)知りませんでした。 |
11.04.20裕・記編集 |