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尾道市東土堂町の千光寺公園“文学のこみち”に建立されている「陣幕久五郎句碑」です。 |
うけながら風の押す手を柳かな |
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島根県の人、力士を志して尾道に出、久保町の初汐久五郎の弟子となったが、その人物を見込まれて養子となり、江戸に下って角力道に昇進し、ついに十二代横綱となった。その人格も高潔で、引退後は社会事業にもつくした。また、下に彫ったのは陣幕の手形で、その原型は養家の室谷家に現存している。 |
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陣幕久五郎 (じんまくきゅうごろう: 1829-1903) |
幕末-明治時代の力士。出雲出身。本名は石倉槙太郎。
大坂の朝日山部屋をへて、1850(嘉永3)年江戸の秀の山に弟子入り。徳島藩,松江藩、のち鹿児島藩の抱え力士となり1867(慶応3)年第12代横綱となる(優勝5回)。同(慶応3)年大坂相撲にうつり、のち頭取総長をつとめた。1880(明治13)年東京にもどり,各地に相撲記念碑を建立した。 |
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文学のこみち23番目が菅茶山詩碑で、そこからもとに戻るように上ったところに、24番目の文学碑としてこの「陣幕久五郎句碑」があります。(根際に頼山陽之像が建っています)
相撲で年寄り・陣幕という言葉を聞いた事がありその祖かと思ったのですが、ウィキペディアによると陣幕久五郎は、年寄り・北陣(きたじん)の初代だそうです。
現在一人横綱の白鵬翔(はくほう しょう:1985- )が大相撲第69代横綱ですので、陣幕久五郎から100有余年で随分横綱になった力士がいたのだな〜と思いました。 |
11.04.22裕・記編集 |