かいりゅうじ
海龍寺

  尾道市東久保町に建てられている「転法輪山・海龍寺」です。
転法輪山・海龍寺は、真言宗泉涌寺派(せんにゅうじは)のお寺です。
奈良の西大寺の定証上人が西国巡教の途路当時(鎌倉時代には)曼茶羅堂といわれていたこの寺に住み、荒廃していた浄土寺を建立したと伝えられています。
その頃備後の大田庄の荘官でこの寺の別当職であった和泉眼渕信がこの寺を定証に寄進したという古記録があります。正中二(1347)年には炎上しましたが、直ちに再建され、寺名を現在の海龍寺と改めたのは寛文二(1662)年です。
本尊は鎌倉末期のものといわれ千手観音菩薩です。山門の右側に文化七(1810)年の文楽之墓と文政三(1820)の竹本弥太夫の墓があります、これは江戸末期に尾道の浜問屋の檀那衆が大阪から文楽師匠を招いて余暇を楽しんでいて師匠の死後追善供養の為建てたものです。
JR尾道駅構内の観光案内所で頂いた「尾道市街地観光案内地図」を見ながら、海岸通りを東に向かってぶらり散歩して国道2号線と交差する浄土寺下交差点にやってき来ました。
そこから浄土寺への石段を上り、山門の処から案内地図の右端(東側)に紹介があるここ海龍寺を訪ねることにしましたので、今(2011年)回のお寺巡りの最初のお寺がこの海龍寺でした。
この海龍寺から今度は、案内図に紹介がある古寺巡りコースを西に向かっていくことにしました。
11.05.04裕・記編集

11.03.04撮影
広島県尾道市東久保町22-8

11.03.04撮影

11.03.04撮影
本堂

11.03.04撮影
十一面千手千眼観音菩薩

11.03.04撮影
阿弥陀堂(位牌堂と呼ばれています)

11.03.04撮影

11.03.04撮影
板碑、五輪塔、宝篋印塔 文楽之墓



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海龍寺
 文樂之墓、竹本弥太夫之墓
 (海龍寺)宝篋印塔など


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