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尾道市東久保町の海龍寺に建立されている「宝篋印塔など」をこの頁では取り上げました。 |
宝篋印塔
南北朝時代(推定)、高さ1.67m、花崗岩製
基壇の上面は整形され、基礎は上二段で格狭間はなく素面です。
塔身は、四面に月輪が陰刻され、下部には南北朝時代の特徴を示した蓮華座を
刻出し、その上部を大きく薬研彫りで金剛界四仏の種子が現されている。
隅飾は、二弧の輪郭付きで、塔身同様、南北朝時代の特徴をよく現している。 |
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五輪塔
南北朝時代(推定)、高さ1.01m、花崗岩製
地輪・水輪・火輪に四方梵字(種子)が刻印され、
県史蹟・世羅町東上原久代谷群にある、南北朝時代の五輪塔に酷似しています。 |
一石五輪塔
安土桃山時代(天正16年=1588年)、高さ0.80m、花崗岩製
空・風輪を欠失していますが、地輪中央上部に「通種子」の一字を陰刻し。
「徳潤居士」が天正十六年四月廿三日の生前に造立した逆修塔です。 |
板碑 三基
阿弥陀種子板碑
室町時代後期(推定)、高さ0.94m、花崗岩製
上部に阿弥陀如来の種子「キリーク」が陰刻されています。
像容板碑
南北朝時代後期(推定)、高さ0.60m、花崗岩製
南北朝時代の特徴である蓮華座の蓮弁上に合掌した仏像が、陰刻してあります。
像容板碑
室町時代後期(推定)、高さ0.52m、花崗岩製
石質が荒く風化剥離がすすみ、現在はほとんど見えない蓮華座の上に、合掌した仏像が想像できる。 |
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ほうきょう
いんとう
宝篋印塔 |
宝篋印経にある陀羅尼を書いて納めた塔。
日本ではふつう石塔婆の形式の名称とし、方形の石を、下から基壇・基礎・塔身・笠・相輪と積み上げ、笠の四隅に飾りの突起があるものをいう。後には供養塔・墓碑塔として建てられた。 |
ごりんとう
五輪塔 |
地・水・火・風・空の五大をそれぞれ方形・円形・三角形・半月形・宝珠形に石などでかたどり、順に積み上げた塔。
平安中期ごろ密教で創始され、大日如来を意味したが、のちには供養塔・墓標などとされた。五輪卒塔婆。五輪。 |
いたび
板碑 |
鎌倉時代から江戸初期にかけて盛んに行われた、死者の追善供養のために建てた平たい石の卒塔婆。
最上部を三角形に作り、その下に深彫りの横線を入れ、仏像・梵字、年月日・名前などを刻む。関東に多く、秩父青石で作ったものを青石塔婆という。 |
(そとば):
卒塔婆: |
(梵)stupaの音写。髪の束・頭部の意味。
1) |
仏舎利を安置したり、供養・報恩をしたりするための建造物。インド・中国では土石やせんを積み、日本では木材を組み合わせてつくる。塔。塔婆。そとうば。 |
2) |
死者の供養のため、墓石の後ろに立てる細長い板。上方左右に五輪塔の形を表す五つの刻みを入れ、表裏に梵字・経文・戒名・没年月日などを記す。板塔婆。そとうば。 |
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海龍寺境内に(文樂之墓、竹本弥太夫之墓の根際に)宝篋印塔、五輪塔、板碑が整理されて置かれています、説明板が設置されていますので、石仏かなと思ったものが板碑というもので、卒塔婆といえば木製板での卒塔婆だけと思っていた(わたしでした)ので、いつまたっても勉強だな〜と思いました。
宝篋印塔、五輪塔はこれまでに少しの数ですが見てきていましたのでそれとなく知っていましたが、(わたしは)「板碑」というものをはじめてここで知りました。 |
11.05.06裕・記編集 |