じょうせんじ
浄泉寺

  尾道市西久保町に建てられている「遊亀山 浄泉寺」です。
遊亀山 浄泉寺 (浄土真宗、本願寺派)
本尊は、阿弥陀如来。開基は1525(大永5)年に宗円が現在の尾道市木之庄町市原の地に一精舎を建立したのが始めで、その後1596(慶長元)年に現在地に道場を移しました。
1631(寛永8)年改築した本堂が、1702(元禄15)年の大火で類焼し、1782(安永10)年再建、1888(明治22)年堂舎炎上、1892(明治25)年から本堂の再建にかかり1911(明治44)年十二間四面総欅造りの本堂が(岡山邑久の最後の宮大工と云われている宮大工棟梁・田渕勝義、勝敏父子の手で)竣工しました。大屋根には畳十六畳という鬼瓦を東西に頂き瀑布の流れ下るような瓦の波は近在随一の大伽藍です。
*広島県商工労働局観光課の公開資料では1543(天文12)年創建とありますが、(わたしは)お寺設置の説明板を優先しました。
本堂前の水盤「離垢」の銘文は頼山陽の筆です。
元禄時代(1688-1704)の尾道には石工の名工があり、雨受盤をささえている「天邪鬼」は有名です。
鐘撞堂由来
鐘撞堂は、1723(享保8)年9月に建立され、1830(文政13)年3月八世順盛代に修復され、1891(明治24)年山陽鉄道開通にともない現在地に移建されました。
梵鐘は、1827(文政10)年4月に鋳造され、口広三尺、高さ六尺あります。1942(昭和17)年第二次世界大戦の折、金属回収令により供出されましたが1945(昭和20)年敗戦後岡山玉野の精練所で無傷で発見され返還されたものです。
鐘撞堂は1997(平成9)年に屋根瓦葺替工事などの修復がされました。
観光案内所で頂いた「尾道市街地観光案内地図」を見て、久保八幡神社を訪ね参拝した後、西隣のここ浄泉寺を訪ねてみようと思ったのです。東側から境内に入りましたのでその時まではわかりませんでしたが、本堂西側の門徒会館を見た時以前訪ねた事があったな〜〜と思い出しました、当時西側から境内に入ったからばかりではなく、お寺に関して関心を持っていなかった不信心だったからわからなかったのでしょう。
今(2011年3月)回は、設置の説明板を読み、頼山陽筆の銘文が刻まれている手水鉢、雨受盤をささえている「天邪鬼」などを意識して拝見しました。(わたしは、)広島ぶらり散歩「頼山陽」編を編集していますので、ここ浄泉寺で頼山陽の筆に出合えたことをうれしく思いそろそろ足取りが重くなっていたわたしに元気が戻ってきました。
11.05.18裕・記編集

11.03.04撮影
広島県尾道市西久保町2-2

11.03.04撮影

11.03.04撮影
本堂前の手水舎

11.03.04撮影
1827(文政10)年4月鋳造の梵鐘が戻ってきた鐘撞堂

11.03.04撮影
元禄時代といわれる「天邪鬼」に目が行きましたが、年代は浅くとも雨受盤の昭和14(1939)年にも目がいきました

11.03.04撮影



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浄泉寺
  (水盤の銘文)頼山陽揮毫


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