(千光寺の)磨崖仏、逆修塔

  尾道市東土堂町の千光寺下にある「摩崖仏」と「逆修塔」です。
磨崖佛      尾道市重要文化財 指定:昭和41(1966)年5月26日
尾道地方にある磨崖佛としてはもっとも古いと考えられ、一塊の岩に力強く陽刻された三尊佛は小柄ながらよく整った容姿は優秀な作品でしょう。
(さんぞんぞう)
三尊像:
仏教寺院の諸堂宇に安置される一組の尊像の場合、中央の主尊および左右の両侍(りょうじ)を三尊像と総称。主尊は普通、中尊といい、両侍は脇侍(きょうじorわきじ)、脇士、脇立、一生補処(いっしょうふしょ)の菩薩などと云う。この三体の像を三尊といい、釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊というようによぶ。中尊と脇侍の組合せは一般的に一定しており、中尊の尊像名が不詳の場合でも、脇侍像によってそれを推定することができる。
釈迦三尊: 釈迦を中心として、左右に脇侍の二菩薩を配した仏像配置の形式。
脇侍には文殊・普賢の二菩薩が多いが、薬王・薬上の二菩薩、禅宗の迦葉・阿難などがある。
阿弥陀三尊: 阿弥陀仏と、その脇侍として控える左の観世音菩薩と右の勢至(せいし)菩薩の三体の仏像。
観世音菩薩: 世の人々の音声を観じて、その苦悩から救済する菩薩。人々の姿に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となるといい、その姿は六観音・三十三観音などに表される。また、勢至菩薩とともに阿弥陀仏の脇侍で、宝冠に化仏(けぶつ)をつけ、独尊としても信仰される。
勢至菩薩: 「大勢至菩薩(だいせいしぼさつ)」の略。智慧の光をもってあまねくいっさいを照らし、無上の力を得させるという菩薩。阿弥陀三尊の一で、阿弥陀仏の右の脇侍。宝冠の中に宝瓶(ほうびょう)をのせ、手に蓮華を持つ姿に表す。
説明板に、三尊佛としか云っていませんので、なに三尊像かなと思ったのです。
この磨崖仏をみて、中尊が阿弥陀如来か釈迦如来かわたしにはわかりませんでした。辞書を引くと脇侍をみると推定できるとありましたが、これも迷うばかりでした。中尊の手の組み方(印相)をみると鎌倉大仏(阿弥陀如来像)と同じでしたので、阿弥陀如来像ではないかと思ったのです。
それから脇侍をみました。左の菩薩の宝冠は摩耗していますが何となく化仏のようかな?と、右の菩薩は手に蓮華を持つ姿のように見えたのです。この磨崖仏は阿弥陀三尊像を彫ったものではと(わたしは)推測しましたが、確かなことはわかりませんので、ご存じの方はご教授お願いいたしますと云う事でこの項の締めとさせていただきます。
磨崖仏の根際に建てられた墓石の事を逆修塔というのかと思ったのですが、説明文を読むと手前の石仏も逆修塔といわれる事を知りました。逆修墓という言葉があるので、石仏もあるということから説明板では「逆修塔」と云っているのかなと(わたしは)思いました。
11.05.01裕・記編集

11.03.04撮影
広島県尾道市東土堂町  千光寺下(千光寺本堂から中村憲吉旧居への道すがら)

11.03.04撮影
逆修塔     尾道市重要文化財 指定:昭和41(1966)年5月26日
天正十七年己丑
松厳■■■禅定門  逆修
松湲■■定尼     逆修
二月時正
千光寺には、天正17(1589)年の銘がある逆修塔が二基あるその中の一基でいづれも花崗石に浮き彫りされたこれらの尊像は、地方(尾道)石工の手によるものであろう。
(ぎゃくしゅ)
逆修;
(仏語) 4. 生前に、墓石に戒名を刻むこと。朱書きとする。また、その戒名。逆修の朱。
1. 煩悩に身を任せ、真理から遠ざかること。⇔順修。
2. 生前に、自分の死後の冥福(めいふく)のために仏事をすること。予修(よしゅ)。逆善。逆修善。

11.03.04撮影



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