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| 山の形がエビに似ているとか、昔山の麓に市がたち賑やかな会話で會論山(海老山)と名付けられたとか、いわれていることから、海老山といわれるようになったそうです。 |
この山の麓、湯蓋(ゆぶた)に道空という人が住み漁をしていましたが、あるとき金の砂をすくってから家が栄えました、その息子の親不孝は「あまんじゃく伝説」を残しています。
北側の麓に宍戸氏の館跡があって、厳島神社の神主職争いの時には戦場となり多くの人が亡くなったといわれています。厳島合戦の宍戸孫六が、陶軍と争い亡くなった家来を葬ったという「三十人の墓」がありこの地の人々に守られています。また、西下の塩屋神社は古くからある神社で、海老塩浜の氏神として祀られてきました。
江戸時代に、留山(とめやま:狩猟や伐採などを禁じた山)になりました。明治になって町(村)有になり、戦前は、侵入した敵の飛行機に光を当てて高射砲の射撃を助ける(陸軍の)照空陣地があったようですが詳しいことはわたしにはわかりません。
昭和30(1955)年の町村合併後「海老山公園」が作られ、現在のような公園として整備されたのは、昭和43(1968)年のことで、町民の憩いの場となり、現在の佐伯区民(広島市民)の憩いの場へと受継がれています。 |
| 08.07.21裕・記編集 |
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07.04.12撮影 |
| 広島市佐伯区海老山町 (廿日市市桜尾城跡からみた広島市佐伯区の海老山みる) |
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07.06.27撮影 |
| 広島市佐伯区海老山町 (西区井口5丁目付近から八幡川越にみた海老山) |
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07.02.07.撮影 |
| 海老山公園に設置してある案内マップ |
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