ハワイ同胞謝恩碑

  佐伯区三宅の養護老人ホーム喜生園横に建立されている「ハワイ同胞謝恩碑」です。
※1949(昭和24)年6月に建立された碑です。
この碑の説明板がありませんでしたので、建立の趣旨はわかりませんでしたが、広島からハワイへの移民の事をわずかですが調べてみました。
日本・ハワイ両国間の合意による第1回ハワイ官約移民は1885(明治18)年1月944人が渡航したそうです。
渡航を許された者を出身県別に見ると、山口県420人、広島県222人と両県出身者だけで64%を占めたそうです。これは、官約移民を実現させた初代外務大臣・井上馨(長州の人:1835-1915)の存在が大きかったからと云われているようです。
1924(大正13)年 ハワイ在住の日本人とその子弟は12万74人でうち広島県出身者は25%の3万534人だったそうです。
  子供の頃だからもう半世紀以上も前、戦後間もなくしての頃になりますが、(現・南区)大河出身の亡きオヤジの親戚が移民で米国(カルフォルニア州)にいて時々チョコレートやキャンディーなど(他のものも送ってきてくれていたのでしょうが)子どものわたしはチョコやキャンディーを食べて日本の味とは違う異国の香りを感じたことを懐かしく思い出すのです。
わたしの親戚にも米国へ移民として行った方が居られたのです。
08.04.01裕・記編集

07.02.07.撮影
広島市佐伯区三宅2-1 (養護老人ホーム喜生園の横)

07.02.07.撮影

07.02.07.撮影
ハワイ 同胞 謝恩碑 昭和二十四(1949)年六月建之



「その他」編


「旧・五日市町」編


広島ぶらり散歩へ
ハワイ同胞謝恩碑
(思い出される)キスチョコ





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送