慈恩塔、中国人捕虜墓標

  南区比治山公園の陸軍墓地に建立されている「慈恩塔」です。
(慈恩塔の前に)四基の墓標が建っています、刻まれた文字が薄くなっていますが、(わたしが)読める字をつなげて考えると日清戦争時代に日本軍の捕虜になった中国人(清国人)のお墓のようです。
戦後になって、その方々の供養塔ということで、灘尾弘吉(1899-1994)揮毫の「慈恩塔」が建てられたという経緯のようです。
この慈恩碑の根際の大東亜戦争台湾人供養碑の説明文によると、フランス人、ドイツ人、中国人の墓地隣に1964(昭和39)年建てたとあることから、それ以後にこの慈恩碑が建てられたのでしょう。
なお灘尾は、計6回文部大臣になっており、1956(昭和31)年石橋内閣で文相として初入閣をしています。
  08.12.25 再編集   04.01.10 裕・記編集

08.12.11.撮影
広島市南区 比治山(ひじやま)公園  陸軍墓地内

08.11.15.撮影

08.12.11.撮影
慈恩塔 文部大臣 灘尾弘吉書

08.12.11.撮影
清國登州■永城縣 故浮虜徐萬得墓 故■軍右営歩兵張丈盛墓
敬称は略しました



「軍都・廣島関連施設戦跡」編



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