|
南区比治山公園の陸軍墓地に建立されている「大東亜戦争・台湾出身戦没者供養碑」です。 |
大東亜戦争台湾人供養碑に寄す
大東亜戦争中南方戦線に従軍し偉功を樹て、戦没せられた台湾人のため、その供養碑をフランス、ドイツ、中国人の墓地に相隣て建立し永く英霊の勲を讃へてその冥福を祈ります。ここに当比治山陸軍墓地に眠る各友邦五千余柱の諸霊を慰める所以と信じるものであります。「国籍の変わりし友の勲しをみたまと共に留めん此の地に」 |
昭和39(1964)年10月28日 比治山陸軍墓地保存協賛会 |
台湾の日本統治は、清朝(日清戦争の敗戦に伴い)が台湾を日本に割譲した1895(明治28)年4月17日から、第二次世界大戦後の1945(昭和20)年10月25日中華民国統治下に置かれるまでの植民地支配としての約50年間を指しています。
日本は中国と戦争を行っていたことから、台湾の漢民族を兵士として採用することには反対が多かったが、兵力不足からやむをえず1942(昭和17)年から志願兵制、そして1944(昭和19)年からは徴兵制が施行されました。およそ21万人(軍属を含む)が戦争に参加し、3万3千人が死亡又は行方不明になったと云われています。 |
※ |
日本は、台湾と国交が無いことなどを理由に補償を拒み、戦後40年以上経った1987(昭和62)年一律200万円の弔慰金を支払いました。しかし毎月30万円の遺族年金が支払われている日本人兵士に対し、日本国籍を離脱した台湾人兵士にはそれ以上の支払いはないと聞いています。 |
|
TV報道などでみる台湾の方々の日本に対する好意的な感触は、中国、韓国に比べれば大きいものを感じます、しかし陸軍墓地内に建立されているこの台湾人供養碑からも日本が植民地支配したその歴史を忘れてはならないのではとわたしは思います。 |
08.12.26 裕・記編集 |