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南区比治山公園の陸軍墓地に建立されている「歩兵第十一聯隊・慰靈塔」です。 |
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戦士は眠りぬ |
歩兵第11連隊は明治8(1875)年広島市に創設され、郷土出身の兵士を中核として累次の戦争に参加しました。
その最後は、昭和12(1937)年支那事変の勃発とともに出征し、中国、マレーシヤ、ニューギニアの各地に転戦した征旅でしたが再び古山にまみえることもなく、昭和20(1945)年8月太平洋戦争の終焉とともにシンガポールにおいて、聨隊旗を奉焼して70年の歴史を閉じました。
この管戦野に斃れ伏したもの2400余名でした
。戦後30数年を経て老残を養うに至った生存者、遺族の悲願も加えて慰霊塔の完成をみたのです。悠々たる歴史の歯車に消え去った戦没者の犠牲がいささかなりとも人類の未来に重みを加えんことを、今この地に無名の戦士は静かに眠る。 |
昭和56(1981)年5月9日 (※上記碑文は全文ではありません) |
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中区基町21広島城内堀東側に「歩兵第十一聯隊跡」碑が建立されており、おじさんはこの部隊に属し、昭和16(1941)年シンガポールで負傷・内地送還後廃兵となった事をおじさんの「原爆記」を読んだときに知り訪ねたのですが、こちら陸軍墓地は何度か訪ねてはいましたが、今(2008年)になりましたが頁を編集しました。 |
08.12.20 裕・記編集 |