|
南区比治山公園の陸軍墓地に建立されている「元陸軍運輸部通称暁部隊金輪島工場電気部員・慰靈碑」です。 |
陸軍運輸部通称暁部隊金輪島工場電気部員は大東亜戦争末期兵員に編入されましたが、長きは20有余年雇員以下の準軍属に拘わらず作戦遂行の原動力である輸送船の艤装と上陸用舟艇の研究整備などに一般軍人にも劣らぬ心魂を任務に捧げましたが、準軍属であるため一般徴兵戦没者と同一の恩典を受けていません。・・・・・・
亡友の身を犠牲にして顧みなかった功績を万生に残すと共に英霊安住の霊所として祖国の繁栄を象徴する慰霊碑の建設こそ貴い殉職英霊に報いる生存者に残された唯一の途と信ずるものであります。 |
昭和44(1969)年3月 電運会 (※上記碑文は全文ではありません) |
|
 |
|
おじさんが昭和20年に書き残した「原爆記」を読むまで、軍人、軍属、工員、雇員という言葉は知っていてもその違いさえ知らず辞書を引いたものでした。この「陸軍運輸部通称暁部隊金輪島工場電気部員・慰霊碑」趣意書を読むと、戦後の軍人恩給などの扱いが軍人と同様のものでないということを云っていました。 |
08.12.23 裕・記編集 |