ノモンハン事件戦歿者慰霊碑

  南区比治山公園の陸軍墓地に建立されている「ノモンハン事件戦歿者慰霊碑」です。
戦歿者慰霊碑建設趣意書       昭和52(1977)年5月吉日  広島ノモンハン会
ノモンハン事件は、昭和14(1939)年5月満州国と外蒙古との国境ノモンハン附近に於いて、越境問題に端を発し約五ヶ月に亘り炎熱不毛の方言で戦史に稀れな激戦を繰返し、惨烈悲壮な苦斗を重ね遂に国境防衛の重責を完うしました。この間12,000余柱の戦死者を出し広島県出身者も多数に及びました。
此度歩兵第七十一聯隊、野砲兵第十三聯隊、輜重兵第二十三聯隊等関係書部隊の戦友が遺族と共に英霊の武勲を永久に顕彰する為に縁深い広島の聖地に慰霊碑を建立しました。
ノモンハン事件   1939(昭和14)年5月〜9月
満州とモンゴルの国境ノモンハンで起こった日ソ両軍の国境紛争事件
1939(昭和14)年5月12日モンゴル人民軍(外モンゴル軍)がノモンハンからハルハ川を越えて満洲軍と衝突する事件が勃発付近のハイラルに駐留していた関東軍第23師団が処理要項に従って出撃、外モンゴル軍を退却させたが、ソ連軍がモンゴル側の援軍に駆けつけ、反撃に出た。
日本は関東軍1万5千名などを動員したが、8月ソ連空軍・機械化部隊の反撃によって壊滅的打撃を受けた日本軍の損害は大きく、全兵力約5万6000人のうち8440人戦死、死傷率は30%を超えた(特に第23師団1万5000人の死傷者は実に1万2000人弱、死傷率は75%を上回り、壊滅した)。8月23日独ソ不可侵条約が締結されたため9月15日モスクワで停戦協定が成立この事件で軍部の対ソ開戦論は後退。
2003(平成15)年おじさんの「原爆記」の関連地を訪ねようと行った(中区・基町)広島城北側の緑地帯で、「部隊跡記念樹・碑」(ノモンハン事件参加部隊跡碑)をみましたその時ノモンハン事件のことを辞典で調べ頁を編集しました。
ここ陸軍墓地の「ノモンハン事件戦歿者慰霊碑」を見ると、碑の建立が1977(昭和52)5月吉日となっていました。広島城北側の記念植樹碑は1977(昭和52)年5月22日建立となっていましたので、同時期に慰霊碑と関係部隊があった基町の地に植樹したことがわかりました。
  09.01.06 裕・記編集

08.12.11.撮影
広島市南区 比治山(ひじやま)公園

08.12.11.撮影

08.12.11.撮影
ノモンハン事件戦歿者慰霊碑 と 戦歿者慰霊碑建設趣意書

08.12.11.撮影



「軍都・廣島関連施設戦跡」編


陸軍墓地(概説)



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