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南区比治山公園の陸軍墓地に建立されている「陸軍船舶工兵部隊慰霊碑」です。 |
抑抑陸軍船舶工兵部隊は昭和の初頭、広島城北、白島の地に於て創設せられた工兵第五大隊第三中隊を以て嚆矢(こうし≒最初)としています。
爾来上海事変より大東亜戦争の終末に至り数十の船舶工兵諸部隊の勇士は、東亜の全戦域に亘り出動し赫々たる武勲を立てその偉功は世に冠たるものありしもその間幾多の尊き犠牲者を生じ遂に終戦の止むなきに至りました。茲に終戦二十周年に当り我等船舶工兵諸部隊の生存者相倚り永久に戦歿諸勇士の偉勲を称えその霊を慰めんが為も由緒深き比治山「日出の台」の地を卜して碑を建立しました。 |
工兵第五大隊第三中隊 独立工兵第六聯隊 船舶工兵第一聯隊 |
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内閣総理大臣・佐藤栄作(1901-1975:首相在任1964-1972)書です。 |
おじさんの「原爆記」を読んで、陸軍のことを少し調べるまでは、わたしは軍隊の船舶と云えば海軍かなと思っていました。陸軍船舶工兵部隊の歴史は「建碑の由来」文を読んで少しでしょうがわかります。陸軍船舶工兵の任務は日本陸軍保有の多数の船舶の運用を工兵が行い、後に船舶兵として独立兵種となったようです。 |
09.01.18裕・記編集 |