|
南区比治山公園の陸軍墓地に建立されている「電信兵慰霊碑」です。 |
ここに眠るは、大正11(1922)年電信第二聯隊創設以来、各戦役において尊い命を祖国に捧げられた電信兵各位の英霊です。諸兄は電信第二聯隊・同関連諸部隊及び船舶通信諸部隊の精鋭で北はアリューシャン列島から中国大陸を経て、南はビルマ・ガダルカナル方面まで戦線の全域に亘り軍の命脈たる通信連絡の重責を担っておられました。しかるに敵の戦火・空襲・魚雷攻撃等により、或は衣食なくジャングル内の彷徨によって戦野に歿し、さらにはこの広島の地において昭和20(1945)年8月6日投下された原子爆弾によって一瞬の間に散華されました。これら非命に斃れられた方々は7500余柱に及び痛恨極まりありません。
戦後40有余年、残駆の戦友一同哀惜の念もだし難く、さらには御遺族の悲願もこれに加え、電信第二聯隊発祥のここ比治山の地に漸くにして念願の慰霊碑を建立するに至りました。ここに戦歿電信兵各位の安らかな御冥福を祈念すると共に、世界平和の実現を希求してやみません。 |
昭和62(1987)年9月13日 生存者一同、遺族一同 |
|
2001年この「電信兵慰霊碑」隣の「鎮魂之碑(船舶通信補充特別幹部候補生鎮魂之碑)」を訪ねた時に知ったこの碑でしたが、今になりましたが、やっと編集しました。
戦後64年を迎える今(2009)年は64年+20歳だったとしても84歳と各部隊の生存者が高齢になられ、(当初は国営墓地だったが、第2次大戦時に墓石を崩して高射砲台を建設。このため国は陸軍墓地は消滅したとしているそうで)今後のこの比治山陸軍墓地維持管理する人がいなくなり、荒廃の危機に立たされているという報道に接したりします。 |
09.01.20 裕・記編集 |