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五重の塔があるのでこの丘を塔の岡といいます。毛利元就が陶晴賢を襲撃した厳島合戦の古戦場です。
1555(天文24)年9月21日陶晴賢は大軍を率いて厳島に上陸し、ここに本陣を構え、毛利方の宮尾城を攻撃しました。
毛利元就は9月30日夜暴風雨をついて包ヶ浦に上陸し、翌朝未明博奕尾(ばくちお)を越えて襲い掛かりました陶軍は不意をつかれて大敗しました。この合戦で内海地域の制海権は毛利の手に移りました。 |
| 塔の岡を上から見ると亀のような姿にみえるから亀居山ともいわれています、わたしは何度ここに立つてみても、(厳島合戦の時には勿論千畳閣はありませんでしたが)この小さな丘周辺に2万とも3万ともいわれる陶軍の兵士がいたのかと思うのです・・それほど狭い地区なのです。宮島歴史民俗資料館の模型でもわかりますが陶軍の兵士であふれていただろな〜〜と・・・・ |
| 08.01.30裕・記編集 |
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08.01.02撮影 |
| 広島県廿日市市宮島町塔の岡(を宮尾城跡の要害山よりみました) |
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07.11.03撮影 |
| 塔の岡(の説明版)から要害山方向をみました (並んであるのは)誓真大徳碑への道案内板 |
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07.12.15撮影 |
| 最初に陶晴賢が本陣を敷いた多宝が岡から塔の岡をみました(要害山は見えにくい位置です)。 眼下は厳島神社。 |
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07.11.03撮影 |
| 左:大鳥居 手前:多宝塔 五重塔 その向こうに要害山がみえます |
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| 厳島合戦(いつくしまかっせん)、厳島の戦い(いつくしまのたたかい)ともいう |
| 1555(天文24)年、主君大内義隆を殺して領国を奪った陶晴賢(すえはるかた)を毛利元就(もとなり)が厳島に敗死させた戦い。毛利氏発展の基となる。陶軍兵力は2万とも3万ともいわれ、毛利軍兵力は4千から5千といわれています。 |
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