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廿日市市宮島町胡町に建立されている「日本三景碑(厳嶋)」です。 |
安藝厳嶋 陸奥松島 丹後天橋立 為三處奇観
寛永二十(1643)年 日本國事跡考 林春斎 |
「2006(平成18)年7月、天橋立、松島、宮島の日本三景観光協議会では、林春斎の誕生日の7月21日を日本三景の日と制定した。」そうです。 |
(はやし がほう)
林鵞峰:
(1618-1680) |
江戸前期の儒学者。京都の人。羅山(江戸初期の儒学者1583-1657)
の子。名は春勝、恕。別号を春斎(しゅんさい)。
将軍家光・家綱に仕え、「本朝通鑑(ほんちようつがん)」「寛永諸家系図伝」などを編纂。 |
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1643(寛永20)年の著書「日本国事跡考」のなかで「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島爲三處奇觀」(松島、この島の外に小島若干あり、ほとんど盆池月波の景の如し、境致の佳なる、丹後天橋立・安芸厳島と三処の奇観となす)と記し、これが現在の「日本三景」の由来となったそうです。
2006年(平成16年)林鵞峰の誕生日にちなみ、7月21日が「日本三景の日」と制定されました。 |
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横目で見るだけだったこの三景碑を2004(平成16)年9月8日に撮影してはいましたが頁にできる碑の撮影ではなかったので、再度撮影しなくてはと思っていたのですが、交流ウォーク関連で訪ねたときに碑に近づき撮影しました。誰もが知っている日本三景・・・誰が決めたのかは知らなかったのです天橋立でみた日本三景碑で知ったわたしでした。 |
08.01.21再編集 06.04.04裕・記編集 |