(紅葉谷川砂防庭園の)高浜年尾・句板

  廿日市市宮島町の紅葉谷公園・紅葉谷川根際に設置されている「M年尾」句板です。
雨あとの 水すぐ澄むと いふ宿に   年尾:昭和47(1972)年11月3日
ここ紅葉谷川は、昭和20(1945)年の枕崎台風の土石流で大崩壊しました。流出した土砂は国宝の厳島神社の社殿を埋め尽くしました。
戦後間もない昭和23(1948)年から復旧工事が始まり、昭和25(1950)年に現在の姿の『砂防庭園』が完成しました。
この岩石庭園の工事費は7,933万円でしたが、なんと文部省が2,115万円負担しています。日本三景であり、特別史跡名勝であるが故になされた広島県並びに日本の文化的偉業でありましょう。川沿いをそぞろ歩いて頂き、広島県の庭園師の心意気を充分堪能してください。
高浜年尾(たかはまとしお:1900-1979)
大正・昭和時代の俳人。高浜虚子(きょし:1874-1959)の長男。東京出身。小樽高商卒業。
中学時代から父の手ほどきをうけ、一時会社につとめたのち俳句に専念。1938(昭和13)年から「俳諧(はいかい)」を主宰。1951(昭和26)年父より「ホトトギス」をひきついだ。著作に「俳諧手引」、句集に「年尾句集」。
広島ぶらり散歩を編集していくうちに、1945(昭和20)年8月6日の被爆被害に打ちひしがれた広島市民をその年9月追い打ちをかけるように枕崎台風が襲ったことを知ったのですが、宮島を調べていくうちに宮島でも枕崎台風の被害に遭ったという事に考えが及んでいなかった(わたしの)迂闊さを思ったものでした。
2007年にはじめてこの説明板をみましたが、今度は、俳句が書かれた説明板ということはわかりましたが、枕崎台風の被害のことばかり考えてしまい、「年尾」なる人物のことには頭が回らなかったのです。今回(2009年)未完結の頁を見直している時に、普通は年雄などで年尾とは書かないな〜と思い俳人・年尾で検索してみました。年代から高浜年尾だろうとわかりました(年譜をみて宮島に立ち寄ったことを確認したわけではありませんが)。
高浜年尾句碑というものではなく説明板に書かれていますので頁の題は「高浜年尾・句板」としました。
09.09.02裕・記編集

08.06.14撮影
広島県廿日市市宮島町 (紅葉谷公園・紅葉谷川根際) 

08.06.14撮影

07.11.03撮影
もみぢだに公園(紅葉谷公園)



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