(宮島・経の尾) きょうづか
経塚
  廿日市市宮島町西大西町の‘経の尾’に建立された「経塚」です。
宮島歴史民俗資料館から西に≒100mくらいの小高い丘があります。
宮島の経塚は、清盛塚とも云われ、経塚がある丘を「経の尾(きょうのお)」と云うそうです。
平清盛公が一字一石の法華経を刻み、納めたと伝えられ、昭和19(1944)年に銅製の経筒や鏡など※が発見されました。
(きょうづか)
経塚:
経文を経筒・経箱に入れて埋めた塚。
後世まで教法を伝えようとし、また追善供養や現世利益(げんぜりやく)などを目的に平安中期から近世にかけて行われた。仏具などを添えることが多く、石経・瓦経なども埋めた。
大正の初め頃までは時折この附近から経文のある小石が見つけ出されることもあったそうです。銅製経筒が土製容器に内にあったのが発見されました。経筒は現在所在不明、容器とともにあった白磁合子(ごうし=蓋のある器の総称)や鏡などは現在厳島神社で保管しているそうです。
※解説資料は、厳島神社社務所発行「伊都岐嶋」を参考にしました。
新しく書き直された説明板には、
この丘は経ノ尾と呼ばれています。経塚は清盛塚とも云われ、清盛(1118-1181)が平家一門の繁栄を祈願して一字一石経を埋めたと伝えられています。昭和19(1944年)年開墾の際一部が発掘されて、銅製の経筒、陶製の甕(かめ)と中国宋代の白磁の盒子(ごうし)、梅花双雀鏡、刀片などが発見されました。これらはすべて平安時代のものとみられます。経塚のあたりは積石で覆われ、宝筺印塔、石燈籠などがありますが、後世のものです。』と記述しています。
案内役だった、交流ウォーク片岡会長に「周辺の木や石を持ち帰ると祟り※があるといういわれがある」と頁を編集するときはくれぐれも忘れずに記述しておいてくださいと云われていましたのでここに書きました。説明板が設置されていますが、字が消えかかり読めたところを繋いだのが上記(全文ではありません)の説明です。
☆祟り(たたり):神仏や霊がその意に反する人間の行為に対してもたらす、とがめ・災禍。
今(2012)年NHK大河ドラマ「平清盛」に合わせて、以前消えかかっていた説明板や壊れかかっていたフェンスなどが整備されている事を交流ウォーク関連で訪ねた時に知りましたので、改めて撮影し、頁を再編集しました。
新しくなった説明板には、あっさりと宝筺印塔は平安時代のものではなく後世のものと否定されていますが、厳島神社社務所発行「伊都岐嶋」には平安時代の形が残っていると記述してありますので、別頁で編集しました。
12.08.23再編集   07.10.20裕・記編集

07.10.06.撮影
広島県廿日市市宮島町西大西町 経の尾

07.10.06.撮影
経塚 と 説明板

12.05.01.撮影
2012年訪ねた時は、経塚と説明板ともに手を入れ整備されていました

07.10.06.撮影

12.05.01.撮影

12.05.01.撮影
(新しい説明板にある石燈籠にみせるように?)台座、笠が加えられていました

07.10.06.撮影
経塚から厳島神社方向をみました

12.05.01.撮影
経ノ尾からみた大鳥居は工事中でした



「安芸の宮島」編



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