厳島縁起

  廿日市市宮島町の厳島神社の「厳島縁起」をこの頁で取り上げました
『推古天皇の端正5(597)年11月12日内舎人の佐伯鞍職(くらもと)という者が恩賀島附近の海で魚を獲っていると西の方から虹の帆をあげた船がやってくるのが見えて来ました。
船の中には瓶がありその中に鋒を立て赤い幣をつけており三人の貴女が乗っておられました。貴女の姿は端厳であり普通の人とは異なっていました。
貴女は鞍職に「御宝殿と回廊百八十間を造立して、われを厳島大明神と尊ぶように」と託宣されました。
鞍職は「あなたさまがそうおっしゃる証拠はどこにあるのですか」と問い返しました。
明神は「都の艮(うしとら:東北)の天に客星異光があらわれ、公家などが驚いている時に、カラスが多く集まり榊(さかき)の枝をくわえるであろう」と答えられたのです。そのときに難波の都に一千羽のカラスが榊の枝をくわえてのです。
鞍職は「大明神の奇端である」と悟り、天皇にこの旨を奏したのでした。
鞍職は、天皇よりの御俸田百八十町、御修理杣山八千町などの寄進をうけ、厳島神社の造営を行った。』
と伝えられています。
(すいこてんのう)
推古天皇:
(554-628)
記紀で第三十三代天皇(在位 592-628)の漢風諡号。名は額田部(ぬかたべ)。豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)とも。欽明天皇第三皇女。敏達天皇の皇后。
崇峻天皇(すしゅんてんのう:?-592)が蘇我馬子(?-626)に殺されると、推されて即位。聖徳太子(574-622)を皇太子・摂政として政治を行い、飛鳥文化を現出。
(さえきのくらもと)
佐伯鞍職:
(生年没年不明)
大和時代の安芸の豪族である。厳島に住む佐伯部の有力者であったとされる。
推古元(593)年、市杵嶋姫命の神託により厳島神社を創建し、初代神主となった。以後安芸国造佐伯氏が代々神主を務める。一次藤原家に神主職を奪われるが、藤原神主家が滅亡すると再び佐伯氏が務め、世襲により現代に至る。
没後、三翁神社、金刀比羅神社に神として祀られる。
その時代に生きていないわたしたち現代人が厳島縁起を知るのは、
厳島神社設置の由緒・由来板か、ものの本に頼るしかないのですが、ここに取り上げた厳島縁起は、それぞれの資料で年代が違っていますがそこのところは大きな心で捉えていただければと思っているのですが。
07.10.19裕・記編集

07.10.06撮影
広島県廿日市市宮島町 厳島神社を海上よりみる

07.10.06撮影
(厳島神社設置の)御由緒(板に記述がある)社殿の創建
厳島神社は古代、周辺の沿岸島嶼部の住民が御山を主峯とするこの島の山容に神霊を感じこれを畏敬したことに始まる。
社殿の創建は推古天皇元(593)年に神主佐伯鞍職が宣奏し、これを造営したと伝承されている。
その後平清盛公が久安2(1146)年安芸守となり当神社を篤く信仰し仁安3(1168)年現在の規模に建替えた。
以後承元元(1207)年、貞応2(1223)年の二度に亘り火災に遭うがその都度、国司によって造営せられ、現存の建物は仁治2(1241)年に造営を終えたものである。



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「安芸の宮島」編



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  嚴島神社御由緒(板)
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