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廿日市市宮島町大町に創建されている「(華降山以八寺)光明院」です。 |
光明院は、浄土宗に属し、天文年間(1532〜1554)以八(いはち)上人によって建立されました。
厳島は14、15世紀ころから、内海の要港としてにぎわい門前町が発達しました。それまで厳島神社に関係をもつ寺院はあっりましたが、以八上人は町家の人達を教化する目的で来島し、念仏を勧め多くの信徒を得ました。
鎌倉時代末期から室町初期の木造阿弥陀如来立像、絹本紺地金彩弥陀三尊来迎図(以上国指定重要文化財、何れも恵心僧都の手になると伝えられています)を所蔵しています。「線刻阿弥陀五仏像鏡」には永延二(988)年八月廿八日の鏤刻銘があり紀年銘のある和鏡としてはわが国最古の遺品といわれこれも重要文化財に指定されています。 |
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この寺の裏手は同じく浄土宗の道場坊神泉寺の跡があり天文1549(天文18)年堪阿弥が再興 昼夜時刻を知らせたので時寺(ときてら)と呼ばれ親しまれた。
天明・寛政の頃(18世紀末)党内諸所に井戸を掘り、宮島名産の杓子を創始し民生につくした誓真は神泉寺の番僧であった。 |
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※解説資料は、説明版と厳島神社社務所発行「伊都岐嶋」を参考にしました。 |
誓真さんの大徳碑を2004年訪ねた時にこのお寺の説明板を読みましたが今頃になって撮影し、頁を編集しました。
日本最古の和鏡が所蔵されていることなども今回知ったのです。 |
08.01.08裕・記編集 |