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廿日市市宮島町に創建されている「多喜山水精寺(たきざんすいせいじ)大聖院」です。
※広島新四国八十八ヶ所霊場第八十七番霊場です。 |
大聖院は、真言宗御室派のお寺で、本尊は波切不動明王(勅願堂)です。
806(大同元)年弘法大師(=空海:774-835) により開山、観音堂本尊の十一面観世音菩薩は行基(668-749)作とされています。
大聖院は真言宗御室派の大本山で仁和寺の末寺、かって厳島神社の別当寺で、平安時代に神仏習合が進み神前で読経が行われ、これに奉仕する多数の僧侶たちを統轄した大寺院が厳島水精寺であり、その中心をなす座主坊が大渉聖院で、もと対岸の陸地にありましたが、鎌倉時代に支配下の諸坊とともに島内に本拠を移しました。
安芸をはじめ周防・播磨の国などにも寺領を持ち、また諸国の大名や庶民から経典・仏具の寄進をうけるなどしましたが、後年の火災で堂宇とともにほとんど焼失しました。 |
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鳥羽天皇(1103-1156)は勅願道場として勅願堂を建立し、それに祀られる波切不動明王は、豊臣秀吉(1536-1598)
が武運を祈願したそうです。天正年間(1573-1592)、仁和寺の任助法親王(にんにょほうしんのう:1524-1584)が止住したことがあり「西の御室(おむろ)」とか「嚴島の御室」といわれました。
1592(文禄元)年豊臣秀吉が厳島参詣の際、この寺で和歌の会を催したこともありました。
1885(明治18)年明治天皇(1852-1912)の厳島行幸に際は御一泊された行在所(あんざいしょ)になりました。
1888(明治21)年(大師堂を残して)全焼しました。
2006(平成18)11月3日弥山の開創1200年を記念してダライ・ラマ14世による弥勒菩薩開眼法要。 |
2006年12月に中国新聞社発行『ひろしま通になろう』という本を購入して、愛読書になり、電車に乗ったときなどにも見るのですが、神社仏閣の頁にこの大聖院の紹介があるのですがわたしは知らないことばかりでした。
2007年10月から3度4度とこの大聖院を撮影してきましたが、どう編集しようかと思うほど見所があるのです。 |
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08.01.11裕・記編集 |