二位の尼・石燈篭

  廿日市市宮島町の‘有の浦’に建立されている「二位の尼・石燈篭」です。
1185(元暦2)年3月24日壇ノ浦の戦いで、平家は源氏に破れ、平清盛の妻であった二位の尼(平時子)は、三種の神器とともに安徳天皇(第81代:1178-1185)を抱いて海に身を投げました。
その屍が有の浦に流れ着いたといわれています。
島民は二位の尼を供養するため神泉寺に阿弥陀堂を建て二位の尼の木像を祀り、位牌もあったそうですが、神泉寺が廃された後、それらは光明院に移されました。
二位の尼の石灯籠が建てられている「有の浦」は「尼の州(あまのす)」とも呼ばれています。
※1185年は、後鳥羽帝からみれば元暦2年となり、安徳帝からみれば寿永4年という表現になります。
平時子 (たいらのときこ:1126?-1185)
平清盛の妻。平時忠の妹。二位尼(にいのあま)ともいう。宗盛・知盛・重衡・徳子の生母。
1171(承安元)年従二位に叙され、清盛(1118-1181)亡き後は一門の精神的支柱として重きをなした。壇ノ浦で(孫の)安徳天皇(第81代:1178-1185)を抱いて入水した。
いままでわたしは、宮島へ行って厳島神社にお参りするために急ぎ足で過ぎていた海岸通りが有の浦(ありのうら)であることも、この二位の尼に纏わる話も、今回交流ウォーク関連で訪ねた時に教えていただきはじめて知ったのです。
視点をこの石碑において編集しましたが、伝説の頁として編集のほうがよかったかとも思いましたが。
08.01.18裕・記編集

07.10.06.撮影
広島県廿日市市宮島町有の浦から御笠浜付近を連絡船よりみる

07.11.17.撮影

07.11.17.撮影

07.11.17.撮影
「二位殿篭燈」 碑文が刻まれていますが



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