|
廿日市市宮島町の“(旧)佐伯郡宮島町舎”前庭に建立されている「宮島奉行所跡・碑」です。 |
広島藩の藩内支配は、町と在(ざい:郡村・農村部)・浦方(うらかた:海辺の村・島の郡村)を区別し、町制を布いたのは、広島城下、三原城下、尾道、宮島の四町で、宮島奉行は宮島に在住して島内の諸事にあたったそうです。
1635(寛永12)年龍神左次衛門が奉行になってから、1868(明治元)年4月に廃止になるまで38名の奉行が任命されたそうです。 |
(ぶぎょう)
奉行: |
1)上の者の命によって事を執行すること。また、その人。
2)武家時代の職名。政務分掌により公事(くじ)を担当し執行する者。
鎌倉幕府が各種の奉行を置いたことに始まり、豊臣氏は五奉行を置いた。
江戸幕府では、
寺社・町・勘定の三奉行をはじめ、中央・遠国に数十にのぼる奉行を設置した。 |
(ぶぎょうしょ)
奉行所: |
1)奉行の執務する役所。
2)江戸時代、町奉行所のこと。 |
|
交流ウォーク関連で訪ねた今(2007年11月)回会長に現在廿日市市宮島支所になっている旧・宮島町役場のところには江戸時代宮島奉行所があり、その跡碑が建立されているのですよと教えていただきました。
ここも何度も通ったところですが、そんな碑があったかと思ったのです、小さな石碑ですが、わたしは見逃していました。 |
08.02.14裕・記編集 |