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廿日市市宮島町南大西町に建てられている「勝山城跡・碑」です。 |
勝山城は、大永4(1524)年大内義興(1477-1528:室町末期の武将)が宮島に渡航して「勝山の館」を構えたところです。
(大内義興はここで年越しをしてから大野の門山城に移り、門山城を根城に安芸各国へ転戦したそうです。)
その時期はちょうど大内氏に叛旗を翻した友田興藤(?-1541)が篭る桜尾城を包囲した時のことでした。
また、天文24(1555)年厳島の合戦では陶晴賢が大元浦に上陸し最初に本陣を設けたところで、やがて(毛利軍の)宮尾城にほど近い塔の岡へ本陣を移しましたが。 |
多宝塔をみるのに、多宝ヶ岡に上り東屋で休憩しようとしたときにその西側に建てられた小さな石碑に気がつきました。みると「勝山城跡」と刻まれていました、裏を見ると昭和50(1975)年佐伯郡宮島町が建てたものでした。
ここに陶軍が最初に本陣を敷いた事は知っていましたのでその本陣を城と云っているのかなと思ったのですが、それにしてはそれを城とは呼ばないだろ〜思っていたところ、交流ウォーク藤井先生に大内義興の館があったところのようですと教えていただいたのです。 |
08.02.17裕・記編集 |