(宮島の)鷹ノ巣砲台跡

  廿日市市宮島町の鷹之巣浦に過って設置されていたという「鷹ノ巣砲台跡」を取り上げました。
日清戦争当時、軍都広島や呉軍港がある広島湾の重要性が高まり、1897(明治30)年から広島湾要塞の建設が始まりました。
点在する多くの島々や半島部に水路を押さえる形で砲台が築かれましたが、日露戦争後に豊予、下関要塞が完成し、瀬戸内海の防備が完了したということで、1926(大正15)年廃止されたそうです。
  地区名   砲台名 起工・竣工年   備砲
厳島 室浜砲台 1898(明治31)年・1899(明治32)年 斯加式9速K×4
-〃- 鷹の巣低砲台 1897(明治30)年・1900(明治33)年 斯加式9速K×4・27K×4
-〃- 鷹の巣高砲台 1898(明治31)年・1900(明治33)年 28H×6
鷹ノ巣浦にあったという砲台のことは、宮島を調べているときに知ったのです、今(2008)年になって「宮島七浦巡り」の船に乗った時、ガイドの方の説明を聞いていて、鷹ノ巣砲台跡の前を通っているときに砲台の説明を聞き、低砲台跡が台風被害で崩れてきていると聞きました、そこで船の中から撮影しましたが、高砲台は方は船からは撮影できない位置のようでしたので、機会があったら撮影に行きたいと思っていますが・・・
08.07.31裕・記編集

08.05.24.撮影
広島県廿日市市宮島町 鷹之巣浦

08.05.24.撮影

08.05.24.撮影
鷹の巣低砲台があったと思われる付近 
(にっしんせんそう)
日清戦争:
1894(明治27)年8月から翌(明治28)年にかけて日本と清国の間で戦われた戦争。
朝鮮進出政策をとる日本は、宗主権を主張する清国と対立、甲午農民戦争(東学党の乱)を機に両国は朝鮮に出兵、日本軍は豊島(ほうとう)沖で清国軍艦を攻撃し開戦に至った。日本軍は平壌・黄海・威海衛などで勝利し、1895(明治28)年4月下関で講和条約締結。
(にちろせんそう)
日露戦争:
1904(明治37)年2月から翌(明治38)年にかけて、満州・朝鮮の支配をめぐって戦われた日本と露西亜の戦争。
ロシアの南下政策に対して日本は英・米の支持の下に強硬政策をとり開戦。日本軍は旅順攻略・奉天会戦・日本海海戦で勝利を収めたが、軍事的・財政的に限界に達し、ロシアでは革命運動の激化などで早期戦争終結を望み、両国はアメリカ大統領ルーズベルトの勧告をいれて、1905(明治38)年9月ポーツマスで講和条約を締結しました。



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