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廿日市市宮島町弥山山頂付近に建立されている「皇太子殿下御展望跡・碑」です。 |
皇太子殿下裕仁親王(後の昭和天皇)は1926(大正15)年中国3県を視察されました。
1926(大正15)年5月21日軍艦長門で岡山県宇野港へ上陸され岡山県を行啓、5月24日福山市を行幸、広島の比治山・御便殿広場には5月26日行啓され広島市内を展望されました。
5月27日宮島で厳島神社を参拝され、弥山山頂に登られ、お泊りになりました。
その時の記念碑です。翌5月28日には山口県を行啓されたそうです。 |
桟橋から厳島神社への途中宮島町浜之町 (宮尾城跡への登り口)で「皇太子殿下行啓記念」石碑をみて宮島に立寄られたことを知ったのですが、碑裏に刻まれた大正15年は読めたのですが(わたしには)月日が読めなかったのです。
この「皇太子殿下御展望跡」碑は丁石「二十四丁」を兼ねていますが、展望された日付が5月27日であったことがはっきりと読めました。
考えてみれば、岡山に上陸され、福山から広島そしてこの宮島(の岩惣)にお泊りになって山口に(東から西に向って)行かれたことがわかりました。 |
09.01.23裕・記編集 |