(弥山・奥の院) 陶晴賢公一族郎黨戰死者碑
  廿日市市宮島町弥山の‘奥の院’前広場に建立されている「陶晴賢公一族郎黨戰死者碑」です。
弥山・奥の院手前の広場に石碑が建っていたのです。
見ると『弘治元(1555)年初日(?) 陶晴賢公一族郎黨戰死者碑 明治44(1911)年6月13日建之』と刻んでありました。
明治になって建立された石碑ですので、縁ある方が建立されたのかも知れませんがわたしには建立経緯はわかりません。なお、陶晴賢の墓と云われているものは廿日市の洞雲寺に建立されています。
厳島合戦で敗れた陶一族郎党の戦死者を供養して建てられたもののようでした。
陶晴賢は高安原とか大江浦とかで自害したと云われていますがその地は詳らかではないようですが、この碑が建立されている奥の院附近ではないようなので一族郎党としたのではとわたしは思いました。
09.02.10裕・記編集

08.06.14撮影
広島県廿日市市宮島町弥山 奥の院前広場

08.06.14撮影
明治44年6月13日建之 弘治元(1555)年10月1日=天文24年10月1日



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