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廿日市市宮島町57の宮島民俗資料館などで展示されている大鳥居資料を取り上げました。 |
厳島神社を参拝して西側が出口になっていますが、そこからそう遠くない処に「宮島歴史民俗資料館」が開館しています。折角宮島に来たのであれば宮島の歴史に触れることができる宮島歴史民俗資料館をぜひ訪ねてみられたらとお勧めです。
その宮島歴史民俗資料館で大鳥居の展示資料で大鳥居の歴史を知ることができました。 |
嚴島大明神と呼ばれていた時の額が描かれていました、また伊都岐島大明神(内面:神社側)も描かれていました。 |
07.11.11更新 03.11.29裕・記編集 |
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各部名称:棟木、桧皮葺屋根、笠木、日光、島木、円座、大貫、大柱、角巾、袖柱、袖貫 |
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棟木 |
むなぎ |
屋根の骨組みの頂部に用いられる水平材。棟に用いる木。むねぎ。 |
桧皮葺屋根 |
ひわだぶきやね |
ヒノキ(檜)の皮で葺いた屋根。 |
笠木 |
かさぎ |
鳥居・門・板塀などの上縁に、横に渡す木。冠木(かぶき)。 |
島木 |
しまぎ |
鳥居の笠木の下に渡す長い横木。 |
貫 |
ぬき |
〔横につらぬいているものの意〕建物の柱と柱をつらぬいて横につなぐ材。ぬきぎ。
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柱 |
はしら |
建物の、土台の上に直立し、棟・梁・床などを支えている材。 |
巾 |
きん |
頭をつつむもの、頭巾。 |
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一 一 一 一 一 一
水
馬 袖 大 袖 柱 長 割 ク
千 水 三 貫 千 貫 壱 柱 三 長 サ 寸 サ
七 真 千 八 万 万 凡 法 ビ
百 六 四 百 六 八 三 六 四 二 山
六 六 百 丈 三 丈 百 丈 千 丈 尺 取 五
才 間 十 十 一 才┌┐ 四 八 程 ノ 尺
振 四 七 尺 元 百 尺 ツ 記 四
六 才 才 口 八┌┐ ` 寸
尺 一 十 元 延
┌┐ ┌┐ 丈 才 口 有 ┌┐
二 三 七 二 之 高
尺 尺 尺 丈 さ
九 五 三 七
寸 寸 目 尺 寸
通 五
壱 壱 し 末 部
尺 尺 四 口
一 二 尺 八 厚
寸 寸 見 尺 壱
└┘ └┘ └┘ └┘ 尺
一
二 四 一 四 二 寸
本 本 本 本 本 └┘
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嚴島大鳥居之圖 嚴嶋大明神 伊都岐島大明神 |
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大鳥居建立等の年代
大鳥居の歴史は「大鳥居一覧の頁」に表を作成していますのでそちらをみていただければと思います。 |
この表には、
「応仁四年(1470年)出典不明」との記載がありますが、応仁は3年までで、1470年は文明2年と一般的には云われています。
「応安四年とも云う」と併記してあります。この応安四年とは北朝元号で西暦1371年、南朝元号・建徳二(1371)年であることから、この表の応仁四年とあるのは建徳二年とダブります。
∴現在の鳥居が八代目の鳥居と云われています。 |
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(なんちょう)
南朝: |
日本で南北朝時代(1336-1392)に、奈良の吉野を中心に存立した大覚寺統の朝廷。
後醍醐・後村上・長慶・後亀山天皇と四代続いた。吉野朝。 |
(ほくちょう)
北朝: |
日本で南北朝時代(1336-1392)に、京都に都を置いた持明院統の朝廷。
足利氏に擁立された光厳・光明・崇光・後光厳・後円融・後小松の諸天皇が皇位についた。 |
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南北朝合一: |
1391(元中8:明徳2)年明徳の乱で有力守護・山名氏を弱体化させ、武家勢力を統率した足利義満(1358-1408:室町幕府三代将軍在職1368-1394)は、和泉・紀伊の守護で南朝と領地を接する大内義弘(1356-1399)仲介の交渉で南朝から北朝への神器の引渡し、国衙領を大覚寺統、長講堂領を持明院統の領地とする事。皇位は両統迭立(てつりつ=かわるがわる立つ)とする事など3箇条を条件に和睦が成立。
1392(元中9:明徳3)年に後亀山天皇は京都へ赴いて後小松天皇に神器を譲渡し、南朝が解消される形で南北朝合一は成立した(明徳の和約)。 |
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