(1945年)8月6日8時15分
爆心から1.5km
鶴見橋西詰で
家屋疎開作業前
私たち広島一中三年生(14歳)
70名は、整列して(北向きに)
作業上の注意を聞いていた。 |
爆発!
巨大な溶鉱炉に
すっぽりと投げこまれた感じ
とっさに伏せたが、すでに、
顔、手、首、足を火傷、
皮膚がたれ下った。
そして、爆風がサーツと |
その瞬間、
一緒にいた70名が、一人以外は、
どうなったか知らない。
後日の話で、アンケートで、
地上にたたきつけられた者、
数米吹きとばされた者、
気を失った者 |
みんなが将棋倒しに
圧しかぶさって、息がつまり、
そうだったと言う者、
火傷馬が暴れていて
怖かったと言う者・・・
さまざま。
想像して描いてみた。 |