世界がヒロシマを忘れたとき、再びあの日は繰り返される。
この頁は、「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」第七号碑福島生協病院内科クリニックの拡大版の頁です。
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| 05.12.31裕編集 |
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ピカドン
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、人類史上最初の原子爆弾が広島に投下されました。街は一瞬にして廃墟と化し、強烈な熱線と爆風、放射線が数十万の人々の生命を奪い、生き残った人々もいまなお心と身体の被爆に苦しんでいます。 |
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閃光
いつものように、家族の者が仕事や学校に出かけた静かな朝
でした。突然目の前が真黄になり、シュウと音がして、ごう音
とともに大きな衝撃をうけ気を失いました。ピカッと光って
ドンと音がするまでかなり時間があったような気がします。 |
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下敷き
まっ暗闇の中で、気がつくと家の下敷きになっていて、腹の
下でカアちゃんと子供の泣き声がしました。息苦しく、倒れ
た柱の下で力の限りもがきましたが、身体の自由がききませ
ん。声を限りに助けを求めました。 |
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火葬
被爆した人々の遺体が焼あとのあちこちで火葬されました。
兵隊さんたちがたくさんの死体に重油をかけ焼いていました。
家族の人たちが悲しみにくれながら身内の者を焼く白い煙も、
しばらくのあいだ絶えることはありませんでした。 |
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逃げる
あちこちで火災がおこり、その炎に追われるように逃げま
した。全身焼けただれ、手の皮ふがボロきれのようにたれ下が
り、目はつぶれ両手を前にだして人々は「天に焼かれる」と
うめきながら歩いていました。それはまさに‘地獄絵’でした。 |
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消えた風景
あの日の朝、貧しくもあたたかい長屋と、元気な子供たちの声が消え、福島川桜土手の緑や水辺も姿を消してしまいました。 |
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| 「私はあの日、生き地獄を見たのです。私はこのことを忘れることはできません。再びこのような核兵器が使われたら人間は絶滅すると思いました、今も原爆症は、生き残った被爆者とその子供たちの命をうばいつづけています。ヒロシマの若者は人類最後の人間になりたくないと世の人々に訴えています。この訴えが世界の人々の声になることを望みます。」 |
| 金崎 是 |
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