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音戸の瀬戸公園 旧要塞砲台の沿革
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| この花崗岩造りの一連の構築物は、旧高烏砲台の跡である。明治16年第二海軍区鎮府の候補地として呉港があげられ、明治19年7月軍港設置とともに敵の艦砲射撃に備えて軍港防備の陸上砲台は陸軍において構築することになり、陸軍予算として閣議にあがったが、第一期計画からは除外された。たまたま日清戦争が起こるにいたって、広島に大本営が置かれるなど情勢の変転に伴って再び砲台構築が起こり。明治29年陸軍の手により砲台、火薬庫、兵舎などの工事が始まり引き続き明治32年から三ヶ月の歳月を費やして完了した。戦争においては専ら防空砲台として使用されたが、明治中期の軍港を護る要塞砲の形式としては珍しいものである。 |
| 呉市 1999(平成11)年 |
| 03.05.05裕編集 |
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