1897(明治30)年3月宇品海岸通りに陸軍中央糧秣廠宇品支廠が創設されました。
1902(明治35)年陸軍糧秣廠宇品支廠と改称、1906(明治39)年宇品御幸通り西側に移転するための用地が確保され、倉庫・糧米所などの建設と合せて1911(明治44)年3月レンガ造の缶詰工場が建設され6月開設しました。
工場には断肉場、煮肉場、製缶場、製品室などを備え最盛期には3500人の従業員が働いていたが、戦争末期には他支廠への配置替えや疎開などで規模を縮小していおり、被爆時に農作業に動員された学徒などもいたが人的被害は軽微であり、建物は爆風で窓の硝子を割り、屋根の鉄骨を曲げさせたるほどの力が加わったが被害も軽く、市内の被爆者救援にむかった陸軍暁部隊が多くの重傷者を支廠内に収容したそうです。戦後、缶詰工場を広島糧工が借り受け1977(昭和52)年まで操業していました、その後放置されていましたが、1984(昭和59)年から一部を保存再生工事を施し1985(昭和60)年5月広島市郷土資料館として開館しました。 |
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缶詰工場 |
| 竣工時期 |
1911(明治44)年3月 |
| 爆心地から |
≒3210m |
| 構造など |
鉄骨レンガ造、 平屋建 |
| 現住所 |
南区宇品御幸町2-6-20 |
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| 2005年11月まちづくり交流ウォークの時、広島市郷土資料館館員の方に説明をしていただき、宇品陸軍糧秣支廠では大きく食肉処理場と缶詰工場に分かれていたこと。牛大和煮の缶詰が主なものでったことを知りました。もう少し煉瓦積みをみてみようと後日訪ねて撮影しました。 |
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