伝大山刀鍛冶之墓

  東広島市八本松町宗吉にある「伝・大山刀鍛冶之墓」です。
芸藩通志に、大山刀鍛冶の祖は筑前(現在の福岡県北部西部)左(さ)の一派で、建武年間(1334-1337)守安というのが移り住んだのが初代であるといい、刀剣銘鑑などによると「大山荘守安」と刻んだと見えますが未だ発見されていません。
つづいて重守(貞治年間)→守重(応安年間)→宗重(康正年間)・・・・・宗重(天正年間)とありますが、最後の宗重を除いては実物の刀が発見されていません。
天正年間の宗重は現在広島県下で数振りが登録されていて、中には国の重要刀剣、広島県重要文化財指定のものもあります。
毛利輝元(1553-1625)の家臣・鷲頭弘(わしづひろうじ)が、この宗重に注文した刀が現存しており、その銘には「大山住宗重延道彦三郎作、天正五(1577)年八月吉日 多々良朝臣鷲頭左馬助」(紀要2所載)とあり、宗重の氏が延道で、通称が彦三郎であったことがわかります。
なお、この付近に刀鍛冶の屋敷跡があって、たたら(踏鞴)など出土していましたが、昭和20(1945)年の水害の際流失してしまいました。ここにある数基の五輪塔などは、これら大山刀鍛冶の墓だと伝えられています。
また、ここに「関の清水」がありました。

昭和58(1983)年4月吉日 建
説明板にここに「関の清水」がありましたとありましたが、現在の「大山清水(関の清水)」と云われている処から少し下った所にこの説明板が設置され少しばかり右手に入った所に五輪塔が崩れたと思われる石造物が大山鍛冶の祖・守安の墓と伝えられていると教えていただきました。
説明板にある1945(昭和20)年の水害というのは、9月被爆で打ちひしがれていた広島県民を巻き込む大災害を起こした枕崎台風のことだったのではと思いました。
09.01.27裕・記編集

08.10.11撮影
東広島市八本松町宗吉

08.10.11撮影

08.10.11撮影

08.10.11撮影



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