賀茂安芸郡境碑 旧山陽道・代官おろし跡碑
  東広島市八本松町と広島市安芸区上瀬野町の境に建立されている「賀茂安芸郡境碑」と
                            そこから少し下った処の「旧山陽道・代官おろし跡碑」です。
「旧山陽道賀茂安芸郡境」碑は、賀茂郡と安芸郡の郡境の石碑です。(現在は、東広島市と広島市の境です)
一般的に行政境界は稜線や谷、川に設定されていますが、ここ賀茂郡と安芸郡では何故か境界線が山腹まで下がっています。
古文書によると長く郡境争いが続いたと記録されているそうです。
(かもぐん)
賀茂郡:
1889(明治22)年4月1日市町村制施行(当時の町村数は39村)。2005年3月22日に大和町が三原市に移行したことにより賀茂郡は消滅しました。
かつてこの地域が京都の賀茂神社の荘園であったことに由来しています。
(あきぐん)
安芸郡:
1889(明治22)年4月1日 市町村制施行(当時の町村数は1町29村)。2009年1月現在、海田町、 熊野町、 坂町、 府中町の4町になっています。
安芸は古くは阿岐と書いていました、7世紀に阿岐国造の領域に安芸国が設置されました、いまはこの安芸国の一部の地域としての郡名となっています。
「代官おろし跡」碑は、郡境碑から少し下った所に設置されています。(大山峠から約400mほど下った所)
大山峠が藩内一の急峻な処で(瀬野方面から大山峠に行く時は)ここで江戸時代は代官さまでも駕籠から降りて歩いたと伝えられているところです。
昭和55(1980)年、昭和56(1981)年に建立された石柱碑ですので、この頃から(旧西国街道)旧山陽道大山峠が再び注目されはじめてきたのではないのかと思ったりしました。
わが町(旧瀬野川町)は、昭和48(1973)年広島市瀬野川町になり、昭和55(198)年(広島市が政令都市になり)広島市安芸区となった時代背景もあるのではとその時代は知らない新住民の部類のわたしでしょうが思いました。
09.01.23裕・記編集

08.10.11撮影
現在は(大山峠側)東広島市八本松町と広島市安芸区上瀬野町の境です

08.10.11撮影

























08.10.11撮影

08.10.11撮影
広島市安芸区上瀬野

08.10.11撮影

























08.10.11撮影


















「わが町附近」編


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