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安芸区上瀬野にいまも残る「広島藩油御用所・水路跡」の一部です。 |
当初は人力により石臼を引いて油を絞りだしていましたが、1790年頃から瀬野川の水を利用して水力による搾油(さくゆ)がはじまり、その水路の長さは≒200m近くあり、1798(寛政10)年頃に広島藩油御用所になったそうです。
(その時代使っていた石臼が龍善寺の礎石に使われていることを「大山峠を歩く」の時に教えていただきました。) |
安芸区まちづくり推進課が作成した「あきく魅力まっぷ」に広島藩油御用所跡(水路跡)江戸時代水力を動力とした藩営の製油所があったと紹介があったので、瀬野一貫田に行った時には国道2号線の南側に入った処にその場所の跡が残っているというので何度か探したのですがわたしにはわからなかったのです。
2008年10月瀬野公民館主催「瀬野まちあるき〜大山峠を歩く」が龍善寺で終わり解散になった後、大山峠を案内してくださったボランティアガイドの方に伺い、わざわざ連れて行っていただき、水路跡が残る石垣を教えていただきました。わたしはいままで南側ばかり見ていましたが、石垣は北側でしたので逆側を探していたのでした。 |
09.01.18裕・記編集 |