(じょうきゅうのらん)
承久の乱: |
1221(承久3)年後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流、上皇方の公家・武士の所領は没収され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化され、公家勢力の権威は著しく失墜した。承久の変。 |
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(おおうちよしおき)
大内義興:
(1477-1528) |
室町末期の武将。周防を中心とする六か国の守護。1508年将軍足利義澄を追って義稙(よしたね)を将軍職に復させ、自らは管領代となる。対明貿易権を独占した。 |
(おおうちよしたか)
大内義隆:
(1507-1551) |
戦国時代の武将。周防を中心とする七か国の守護。義興の子。学芸を好み、山口に京文化を移植し、また明・朝鮮の文物を移入。大内版を開版。キリスト教布教を許す。家臣陶晴賢に襲われ自刃。
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(あまこつねひさ)
尼子経久:
(1458-1541) |
戦国時代の武将。出雲守護代。山陽一帯に勢力を伸ばしたが、大内義興およびそれに与(くみ)した毛利元就によって拡大を阻止された。 |
(もうりもとなり)
毛利元就:
(1497-1571) |
戦国時代の武将。大内義隆が家臣陶晴賢に倒されたのち、陶氏を討って周防・長門を支配下に収め、出雲の尼子氏を倒して中国地方十か国を制覇。一族の結束を固めるための三本の矢の教訓が有名。 |
(すえはるかた)
陶晴賢:
(1521-1555) |
室町末期の武将。初名、隆房。主君大内義隆にそむいて自刃に至らしめ、その領国を掌握。厳島の戦いで毛利元就に敗れて自害。
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(やまじろ)
山城: |
山頂や山腹に設け、防御を自然の険しい地形に依存した城 |
(とりで)
砦:塁:寨: |
1)本城から離れて設けられた小さい城。規模の小さい城。
2)外敵を防ぐために築造した建造物。要塞。 |