仁保島城(仁保城)跡

  南区黄金山町黄金山緑地の頂付近にあったという「仁保島城跡」です。
仁保島城(にほじまじょう)または仁保城といい、
城の起源は不明ですが、室町時代の後期にはすでに実在し、府中白井氏の支城であったといわれ後に大内氏に属しさらに毛利氏の支配下におかれています。
この城は広島湾の重要拠点となっていたので局地的な戦場となり天文24(1555)年の厳島合戦の際、陶軍が来攻し城将香川光景(?-1605)が撃退したなどの話が伝わっています。
現在テレビ塔がある山頂付近が主要部があった場所です。遺構が消滅していますので詳しい規模はわかりません。 
仁保郷土史会・仁保公民館
仁保城は連郭式の山城で、本丸・二の丸・三の丸からなっていたと云われています。
遺構がほとんど消滅しており詳細は不明です。黄金山頂近くに本丸・二の丸の石垣、山頂に連なる北東の丘陵(北大河町付近?)に出丸の石垣が残っているそうです。
山城(やまじろ) 山頂や山腹に設け、防御を自然の険しい地形に依存した城
(かく) とりで、都などのかこい。くるわ。
砦:塁:寨(とりで) 1)本城から離れて設けられた小さい城。規模の小さい城。
2)外敵を防ぐために築造した建造物。要塞。
仁保城のことを2004年交流ウォークのとき広島城二の丸の説明展示(下画像)で知ったのです、2006年黄金山に行ったときに駐車場横で説明板(上画像)をみたので、市役所屋上から黄金山方面をみた画像を撮影したのを切っ掛けに今回頁を編集しました。わが町附近をぶらり散歩で海田町上市橋を撮影中正面に見えたのが黄金山(仁保島城跡)でした。
12.12.20.更新   06.07.05裕・記編集

06.03.14.撮影
広島市南区黄金山町黄金山緑地
黄金山駐車場横に設置されている説明板です。

写真は説明板より

広島城二の丸展示の説明板
埋め立てによって今は広島市街地になっていますが、黄金山(221.7m)は以前この仁保城がありました。
仁保島は、広島湾に浮かぶ島の一つで、毛利元就は陶氏との決戦を前に天文23(1554)年広島周辺の銀山城、己斐城、仁保城など諸城を攻略し広島湾頭に勢力を伸ばしていきました。
※資料は広島城二の丸に展示されていた仁保城の説明版を参考にしています。

06.07.15.撮影
京橋川越に黄金山をみる

06.06.01.撮影
(国泰寺町の)市役所屋上より黄金山町方面をみる

06.06.01.撮影
正面が城跡があったという黄金山 (手前の鉄塔がある低い山は比治山)

06.03.14.撮影
南区仁保三丁目附近から黄金山を見上げる

06.05.07.撮影
安芸郡海田町・上市橋と黄金山(仁保城跡)をみる

12.10.13.撮影
南区堀越から(現在のマツダ工場群の向こうの)黄金山をみました



「古墳遺跡遺構など」編


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