海田市宿

  安芸郡海田町に過ってあった宿場「海田市宿」を取り上げました。
平安時代に瀬野川の河口部に開田庄が拓かれ二日市を中心に発展した宿場です。
{安元2(1176)年開田荘として文献に登場しています}
瀬野川の渓口集落であった開田は、更に海に面して土地が開かれ海田と呼ばれるようになりました。
福島正則(1561-1624)は総鎮守の熊野神社の西に本陣の御茶屋を置き、後に海田市宿には馬15匹が置かれたそうで、安芸郡の郡本(後の郡役所)として発展し、千葉家や三宅家などの旧家を中心に町並が形成されてきたそうです。
宿駅 (しゅくえき)
交通の要地にあって、宿泊のための設備や輸送に携わる人馬を有した集落。
鎌倉時代以降発達し、江戸時代には宿場町となる。。しゅく。
ジグザグになった道(やT字になった道)は、遠見遮断ともいい、戦いの時身を隠すのに都合がよいようにしたとか、大名行列が見える時間を短くする効果を狙ったなどいうものもあると聞きます。
しかし、ここ海田市宿には本陣、脇本陣がありましたが、ここ海田市では、商家の前に荷車が着けやすく交通の支障にならないようにしたという説を聞いた時そうだな〜とわたしは思いました。
海田町を通った西国街道は、明治になって国道2号線となり、海田市を通っていました(が戦後新しく別ルートで国道2号線が整備されました)。
海田町町内の道路でジグザグになっているところがあります。HPを編集をはじめる前までは、どうしてこうなっているのか?考えたことはありませんでしたが、これは商家の前に荷車が着けやすいようにとの配慮だったそうです。
08.05.09追記     07.09.20裕・記編集

’07.05.28.撮影
広島県安芸郡海田町上市付近

’07.05.28.撮影
今も残るジグザグになった道路(旧国道)

’07.07.29.撮影



「通り・街道など」編



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海田市宿
海田本陣跡
(海田)脇本陣
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「わが町附近」編





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