広島城のお堀の取水口

  安芸の国の領主毛利輝元は、天正17(1589)年広島(当時の地名は五ヶ庄;ゴカショウ)に築城をはじめました。この場所に、大きな水池を作り、ここより広島城の堀へ水を取り入れました。この池には開閉の出来る水門を作り、太田川の河水を引き入れ、満潮になると海水が遡上して来るので水門を閉ざしました。
昭和20(1945)年8月6日原爆投下以後、この水を導入する堀が埋め立てられ現存するのは、本丸、二の丸を囲む堀だけで取水池も導入掘も宅地や道路等変更されほとんどは跡を残しておりません。
資料は説明板の説明文西区の村上幸彦氏のものです 06.07.30裕・編集

06.03.18撮影
広島市中区基町本川土手よりみる (画像左に説明板)
説明板の広島城郭区域図より取水池の位置などを知る・・・・



「広島城附近」編
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